フランシス・プーランクのフルート作品
Francis Poulenc By Joseph Rosmand, London: J. W. Chester. 1922. OCLC 8401408., PD-US, LINK |
楽譜
経歴
フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(1899年1月7日-1963年1月30日)は、フランスの作曲家兼ピアニストです。
彼の母は有能なピアニストで幼少よりピアノのレッスンを受けましたが、父親の跡をついで製造業の会社を経営することを期待されたため、音楽大学へ入学させてもらえませんでした。
主に独学で音楽を学び、フランス六人組として活動しました。
1918年から1921人にかけての第一次世界大戦では、フランス-ドイツの西武戦線で従軍し、その後は航空省のタイピストとして比較的自由な時間が与えられ、作品を残しました。
1920年前半にプーランクの作曲家、そしてピアニストとしての名声は高まりますが、正式な音楽の訓練の必要性を感じていたプーランクはラヴェルに助言を仰ぎ、シャルル・ケクランに何度か教えを受けています。
24歳のときに当代きってのバレエ・プロデューサーであったセルゲイ・ディアギレフから依頼を受けて作曲した『牝鹿』は、彼の名声を揺るぎないものにしました。
木管六重奏曲
1931年、歌曲集『コカルド(リボンの結び目)』が成功し、プーランクは木管六重奏の作曲を始めます。しかし初演に間に合わず、1932年に完成しました。
翌1933年12月13日に初演されましたが、この版は失われてしまいました。1939年にこの六重奏曲を改定し、翌年12月9日にパリで演奏されています。
この第二版が今日伝わっています。
フルートソナタ
ドビュッシーのソナタの影響を受け、1952年にプーランクはフルートを含む器楽のためのソナタを作曲する事を構想しました。
しかし、オペラ『カルメル派修道女の対話』の作曲中で多忙のため、実際に作曲されたのはカンヌに滞在していた1956年12月から1957年3月にかけてでした。
初演は1957年6月18日、ストラスブール音楽祭でジャン=ピエール・ランパルのフルート、作曲家自身のピアノによって行なわれました。
ランパルは翌1958年2月に鍵盤奏者ロベール・ヴェイロン・ラクロワとのアメリカツアーでもこの曲を演奏しています。