シャルル・ケクランのフルート作品

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楽譜


Flute Sonata, Op.52


Suite en quatuor, Op.55


Sonata for 2 Flutes, Op.75


Divertissement for 3 Flutes, Op.91


Trio for Flute, Clarinet, and Bassoon, Op.92


Primavera Quintet, Op.156 fl,hrp,vn,va,vc


14 Pièces pour flûte et piano, Op.157bis


七重奏曲 Op.165


3 Sonatines, Op.184


経歴


シャルル・ルイ・ウジェーヌ・ケクラン(1867年11月27日-1950年12月31日)は、フランスの作曲家です。大家族の末っ子としてパリに生まれますが、14歳の時に父親を亡くしました。

音楽の道を志しますが、家族は彼にエンジニアになって欲しいと希望していたため、1887年に技術学校に入学します。しかし、結核にかかってしまい、半年ほどアルジェリアで療養します。

この頃から体力をつけるために登山や水泳、テニスなど積極的にスポーツをするようになりました。

チャールズ・エドゥアール・ルフェーブルに作曲のレッスンを受けた後、1890年にパリ音楽院に入学。アントワーヌ・タウドゥに和声を、ジュール・マスネに作曲を、アンドレ・ジェダルジュに対位法を学びました。同級生にはジュルジュ・エネスクがいました。

1896年からはガブリエル・フォーレの弟子となり、同門下にはモーリス・ラヴェルやジャン・ロジェ・デュカスとともに学びました。

1898年にはフォーレの『ペレアスとメリザンド』の管弦楽版の編曲を担当しました。

卒業後にはフリーランスの作曲家兼教師として活動し、1903年に結婚。5人の子供を授かりました。

1909年頃にモーリス・ラヴェルとともに独立音楽協会を設立しました。

1913年、フルートとピアノのためのソナタOp.52が作曲されています。

1915年以降にはブリュッセルやランス、マルセイユの音楽院の講師となり、フランシス・プーランクなどを教えました。

2本のフルートのためのソナタは1920年ごろ作曲されています。

1926年にはパリ音楽院の対位法の教授職に応募しますが、2賛成20反対で却下されています。

この頃から作曲技法に関する著作を書き始めますが、経済的困難のため教育活動を積極的に行いながら本を出版しました。

特に1941年に出版した管弦楽法に関する著作では、指揮者、作曲家、オーボエ奏者のハインツ・ホリガーから『音の錬金術師』と称されました。

1940年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を与えられますが、授与を辞退しています。

晩年はヴァールの田舎で過ごし、83歳で亡くなりました。

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