フランツ・ベンダのフルート作品
フランツ・ベンダ |
楽譜
Flute Concerto in E minor, L2.4
Flute Concerto in G major, L2.11
Flute Concerto in A major, L2.15
Flute Concerto in A minor, L2.16
Flute Sonata in E minor, L3.57
経歴
フランツ・ベンダ(1709年11月22日-1786年3月7日)はチェコ王国のベナツキナドジゼローで生まれ、プロイセンのポツダムで亡くなった作曲家、ヴァイオリニストです。
音楽一家に生まれ、親戚にはゲオルク・ベンダ、ヨーゼフベンダなど優れた作曲家がいます。
幼少の頃、アマチュア音楽家であった父からオーボエやシャルマイ、ツィターを教わり、地元の教会でオルガン、作曲、歌唱を習いました。プラハで聖歌隊員となり、その後ドレスデンの王宮教会で働きました。その頃ヴァイオリン演奏もはじめ、祭日や見本市などに路上音楽家として参加しています。
18歳でプラハに戻ったあとにウィーンへ行き、タルティーニの弟子であるヨハン・ゴットリーブ・グラウンにヴァイオリンを本格的に習いました。そして2年後にワルシャワのカペルマイスターになりました。
1732年、プロイセンの王子フリードリヒの所有するルピーンの楽団のメンバーとなり、1740年までコンサートマスターを務めました。
当時、フリードリヒの下には時代を代表する音楽家が集まっており、その中にはヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ、かの大バッハの3男であるカール・フィリップ・エマニュエル・バッハなどが名を連ねています。
ベンダは宮廷をしばしば訪れていたフリードリヒのフルート教師であったクヴァンツから作曲を学ぶ機会を得ています。
フリードリヒが王位を継承したことで、ポツダムの室内楽団のコンサートマスターとなります。
フリードリヒ大王がソリストをつとめ、フリードリヒ自身やクヴァンツの作曲したフルート協奏曲を演奏しました。
後に前任のヨハン・ゴットリープ・グラウンが亡くなると、ベンダは宮廷楽団のコンサートマスターに就任し、生涯を終えるまで職を全うしました。
ヴァイオリニストとしてのベンダは当代随一の名声を得ました。
当時流行していたイタリアの派手で技巧的な音楽スタイルとは異なり、技巧的な華やかな演奏に走ることなく、歌唱的で良い趣味の彼の演奏は、フリードリヒのみならず他の宮廷からも高く評価されています。