🇨🇳北京(演奏会と万里の長城)


演奏会


杭州から北京に飛行機で移動し、北京亚洲大酒店というホテルに泊まった。

飛行機が大きく揺れ、隣に座っていた中国人の女性が揺れるたびに叫んで、その後恥ずかしそうに笑っていたことを思い出す。

同僚の一人はビールをこぼしてビショビショになっていたが、別の同僚は上下に揺れる機内でもゆっくりご飯を食べていた。

保利剧院


その日の夜は、保利剧院(Beijing Poly Theatre)で演奏会であった。

保利剧院のホールは、日本の文化会館のような箱型のホールだった。



  
この会場で特に印象的だったのが、舞台上に赤いロープが張られ、禁止通行と書かれた看板が立てられていたことだった。


中国のホールは客席と舞台の間に距離があるところが多かったが、舞台と観客席の間にロープが張られたホールは保利剧院だけだった。

天井には音響板が吊られており、なかなか良い響きのホールだった。


 

万里の長城


演奏会の翌日は、空き日だった。

北京からは、慕田峪長城という万里の長城の一部に行く事ができる。

早速、同僚が万里の長城ツアーを手配し、希望者は朝からバスで慕田峪長城へ向かった。

慕田峪長城のふもとの駐車場に到着し、土産物屋や飲食店の並ぶ道を抜けると、シャトルバス乗り場がある。

駐車場に到着

シャトルバスに乗ろうとしたら、乗り場では乗車券が売られておらず、来た道をまた戻らなければならなかった。

乗車券は駐車場の近くで売られていた。

乗車券は、この辺りで
販売されている。
購入しておかないと、
ここまで来た道を戻る羽目に。

仕方なく10分ほどもと来た道を戻り、乗車券を購入した。

二度目の道中では少し違うルートでシャトルバス乗り場を目指す。同行していた同僚は雨がっぱを買っていた。

シャトルバス乗り場に乗車券が売られていないのは、観光客を何度も通らせ、物を買わせる作戦のような気がした。

僕は意固地になって何も買わなかった。

ようやく万里の長城に到着

話は少し逸れるが、僕が中学生だった頃、地元群馬の高崎市にある烏川吹奏楽団という団体に所属していた。

ある時、日本と中国の吹奏楽団の交流会で中国に行った。その時に万里の長城も訪れたので、今回は二回目の訪問である。

始めてきた時は、傾斜がとても険しくまるで崖のような階段の登り降りにヒヤヒヤした。

長城の路上販売で買ったペットボトルのお茶に大量の砂糖が入っていて、甘すぎて飲めなかったことなどを思い出した。

およそ20年ぶりになるが、今回訪問した場所は、そのような険しい場所はほとんど無かった。

壁や床のブロックの継ぎ目に、ところどころ再構築した跡が見えたが、道自体はとてもなだらかで、歩きやすく整備されていた。

歩きやすくなったとは言え、
なかなか運動になる傾斜や階段

  
ふと遠くに目をやると、万里の長城が山の向こうの方まで続いており、その途方も無い長さに気が遠くなる。

左奥の山の峰にも、
万里の長城が見える

あちらこちらには、古に使われていたと思われる長城の朽ちた姿が残っていた。

荒城の月が頭によぎる

  
万里の長城を堪能し、シャトルバスで土産物街に戻ってきた。

北京ダック  


ホテルに戻るバスの出発までまだ時間が会ったので、レストランで遅い昼食をとった。

餃子と、清炒葉心という菜もの炒めと、青島神社と、それからせっかくなので北京ダックを注文した。

北京ダック、らしい

清炒葉心
万里の長城で一番美味だった

餃子と青島ビール

特に清炒葉心はとても美味しかったので、また中国に行く機会があればぜひ食べたいと思う。
 
北京ダックの味については全く覚えていない。

バスでホテルに戻り、夜まで少し街をぶらついてから夕飯を食べに近所に餃子屋へ。

北京では街のあちこちで食べ物を路上販売していた


ホテルの近くの餃子屋さん


昼に万里の長城の麓で餃子を食べたが、ここでもまた餃子を頼んだ。

中国滞在中、一番餃子が美味しかったのがこの店だったかもしれない。

焼餃子ではなく水餃子のような、中国の本格的な餃子だった。


次の日は郑州に移動して演奏会。

旅も残すところわずかである。


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