🇨🇳郑州、珠海、🇭🇰香港


郑州(チェンチョウ)


北京から飛行機に乗り、中国の中央に位置する郑州へ移動。

飛行機で2時間半ほどかかり、中国の大きさを実感した。

14時ごろに、郑州美盛喜来登大酒店(Sheraton Grand Zhengzhou Hotel)に到着した。

昼食はホテルの近くの食堂で済ませ、夜はHenan Poly Art Centerで演奏会だった。


ホールは、日本の文化会館のようだった。

出演者の出口は舞台の中央にあった。
舞台裏から見た、
中央にある入り口。

次の日は、中国南部の珠海へ移動した。

本来は飛行機で移動する予定だったが、悪天候のため急遽バスで移動することに。
中国の高層マンション。
昼間は無機質な見た目だが、
夜にはギラギラと光る

途中で立ち寄ったパーキングエリアのアイスクリーム屋で、日本語を発見。

美味しいソフトクリームが
世界につながる

日本でも
高速のパーキングエリアには
このようなオブジェが置いてある

珠海(チュウハイ)


飛行機なら2時間半ほどの距離を、バスで移動したので珠海に到着したときは夜になっていた。


郑州は東京ほどの緯度だが、珠海は沖縄よりもさらに南にある。

とても蒸し暑く、ヤシの木のような街路樹があちこちに植えられていた。

珠海のヤシの木

すぐ隣にはマカオがあるが、くれぐれも境界線を越えないように言われた。

越えてしまうとビザの関係上、戻ってくることが出来ないそう。マカオ市民は簡単にゲートを通過できるが、我々外国人は厳重な審査を受けなければならない。
マカオとの間のゲート

珠海の夜はネオンで
ギラギラとしている

珠海来魅力假日酒店


ホテルは、珠海来魅力假日酒店(Zhuhai Charming Holiday Hotel)という所に泊まった。

ホテルの朝食が素晴らしかった。
朝から寿司を食べる

子豚ちゃん

ビュッフェ形式の朝食が美味しすぎて、朝から寿司を食べてしまった。
デザートを取りに行くも、飲茶などもついつい取ってしまい、朝からお腹いっぱいである。

夜の演奏会まで時間があったので、朝から観光に繰り出した。
ホテルの横の土産物屋

地下のショッピングモール


ホテルの近くの地下道は広大なデパートのようになっており、食料品やレストラン、衣料、化粧、家電、靴などありとあらゆるものが売られていた。


服装先生

高温多湿である


少し散策したが、珠海の高温多湿な気候で汗だくになった。ホテルで一旦休憩。

その後、お茶で有名な珠海茶城に出かけた。

珠海茶城


珠海茶城の入り口

珠海茶城のオブジェ

茶屋では、店員さんがお茶を淹れてくれて試飲することが出来る。

色々な種類のお茶を飲みながら、ゆっくりと好みの茶葉を選ぶことをできた。


今回、台湾茶系列のDr.Zhan’s Teaというお店で、人参烏龍茶と金萱烏龍茶という茶葉を買った。

金萱烏龍茶

人参烏龍茶は砂糖が入っていないが、飲んだ後に甘みが口の中に広がる不思議なお茶。

金萱烏龍茶はミルクウーロンと言われ、ミルクティーのような薫りがするお茶だった。

烏龍茶は、青茶という分類ということをこの時初めて知った。

中国茶は味よりも薫りを楽しむお茶で、日本茶とは全く違うお茶である。

チェコフィルの同僚の何人かは中国茶に詳しいので、色々と教えてもらった。

茶器もいくつか買った。

茶器もたくさん売られていた

演奏会


夜は珠海野狸島にある、貝殻のような形をした建物のZhuhai Grand Theatreで演奏会だった。

バスで会場に向かう途中、海沿いに人魚姫の像や、船の上にお城が乗っていた。

珠海の人魚像

海沿いには色々な建物が

左の白い建物が演奏会場

船の上の城

Zhuhai Grand Theatreは青い照明と、天井の星のような照明がとても美しいホールだった。

箱型のホール

青い照明が美しい

ステージから

控室トイレのスローガン

珠海が2019年中国ツアーの最後の演奏会となった。

次の日に、香港の空港からフランクフルト経由でプラハに戻った。

珠海から香港までは、海上に作られた港珠澳大橋という高速道路を30分ほど。

海の上を延々と道路が続いており、未来の世界に生きているような感じがした。

バスを一旦降り入国審査を経て香港に入国。

香港空港で、皿うどんを食べた。
香港空港の皿うどん

あとがき


2年前のちょうど今日、プラハに戻ってきた。

この2年間で世界が大きく変わる前に、中国を訪れる事ができて本当に良かったと思っている。

こうして思い出して書いてみて、中国ツアーでお世話になった方々に改めて感謝の気持がこみあげた。

僕自身も、この時はまだ試用期間が終わっていなかったので、慣れない旅の中で必死に演奏しつつ観光していた。

あの頃の気持ちを今後も忘れないよう、そして早くまた、中国や世界各地を訪れる事が出来る日が来るよう切に願って。

記2021年5月25日


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