チェコの竹田城!強盗男爵とポトシュテインの天空城


 よく晴れた10月下旬のある日、ポトシュテイン城跡(Hrad Potštejn)に行ってきました。

まさにチェコの竹田城跡と言えるような素晴らしい景観と、強盗男爵や隠し財宝にまつわる話、崩壊に至る経緯などとてもドラマチックな城跡でした。

ポトシュテインはチェコの中央部に位置する人口千人ほどの小さな村で、プラハから電車で約3時間ほど離れた場所にあります。

立地条件の悪さからチェコの旅行ガイドブックにはあまり載っていませんが、今回訪れたポトシュテイン城は間違いなく穴場スポットでした。

外国から来られた方はなかなか訪れる機会の少ない場所かも知れませんので、写真多めで紹介させてください。

まさにチェコの竹田城!ポトシュテイン城跡へ向かう


駅からポトシュテイン城へ向かう道中、山の上に遺構が見えます。

ポトシュテイン駅から城跡が見えました

駅から城跡へは徒歩で20分程度です。


ワクワクしながら、山道を登ってゆきます。


ちょうど紅葉の美しい季節で、山道は落ち葉の良い香りがしました。



先日の突風で倒れた木が道に横たわっています。


駅から20分ほど歩き、ようやく城の入り口に到着しました。


ゲートからの景色も素晴らしいです。


ゲートでチケットを購入し、ツアーが始まる時間まで待ちます。

ゲート前の様子
ツアーが始まるまでここで待ちます


城に入場するためには大人70ckz(約350円)、6歳以下の子供は無料、15歳以下の子供は40czk(約200円)、犬の入場には10czk(約50円)のチケットを購入します。


詳しい料金は、城のホームページ(チェコ語)から。


Hrad Potštejn



ここでチケットや飲み物を
買うことができます


時間になるとガイドさんが案内してくれます。

ツアーの様子


チェコ語のガイドでしたが、チケット売り場で英語の解説が書かれた紙を借りることができ、ツアー終わりにガイドさんに返却します。


45分ほどのツアーでしたが、説明がわからなくても充分に楽しめる内容でした。


山の上で寒いので、もし訪れるときには厚着をされてゆくことをお勧めします。


せっかくなので、ツアーで説明されていた内容を要約してみます。


6つの門


ポトシュテイン城は、13世紀終わり頃に建てられました。


城を建てたドロスラヴィッツェ(Drslavic)家は、元々はプルゼニュ出身の貴族で1197年ごろにポトシュテインの町に定住しました。


ドロスラヴィッツ家のプータ(Püta)の代に城の建設が始まり、孫の代にようやく完成しました。


城はその後、さまざまな所有者の手に渡り、破壊や再建を繰り返します。


城には元々6つの門がありましたが、現存するのは3つです。

もっとも保存状態の良い第4の門はカール4世の時代(1316-1378)に建てられ、その後に貴族ペルンシュタインによって再建されました。


門にはペルンシュタイン家のバイソンの家紋が残っています。

ペルンシュタイン家の
バイソンの紋章


泥棒男爵ミクラシュ


城の所有者のうち、もっとも有名なのは14世紀に泥棒男爵として悪名を馳せたミクラシュ・フォン・ポッテンシュタインだそうです。


彼は、プラハの貴族ペレグリンプシュに父親の敵討ちをしたために、巡礼や多額の罰金などを課せられ投獄されました。


刑務所から城に戻った後、彼は通りすがりの商人から強奪したり、人質をとって身代金を要求したりと悪徳の限りを尽くしました。

復元された城の内部へ

復元された城の内部には、強盗に使われていた馬車や鎧、そのほか様々な拷問道具などが展示されていました。


鎧と武器

謎の道具

噂を聞いたボヘミア王ヨハンは彼に悪行を直ちにやめるように要求しましたが、泥棒男爵ミクラシュは拒否します。


翌年1339年、カレル皇太子(後のカレル4世)によって城を包囲され、8週間籠城しました。


しかしついに壁を破られてしまい、ミクラシュは高い塔にこもって降伏を拒否します。


カレル皇太子は塔の下を掘り塔を倒壊させ、ミクラシュと配下の者たちはそのまま亡くなりました。

強盗に使われた馬車の模型


ガイドさんが馬車に置かれている兜を被っていいよと言い、子供たちが被って記念撮影していました。


強盗男爵ミクラーシュの隠した財宝


泥棒男爵ミクラシュの死後、ポトシュテイン城はそのまま放置されていましたがカレル4世はポトシュテイン城を要塞として再建します。


その後1454年、貴族ポディエブラデイの手に渡りさらに壁や要塞が追加されました。


1497年には、前述の第4の門にバイソンの紋章の残っている貴族ペルンシュタインの所有となりました。


彼は要塞として使われていた城を、ルネッサンス様式の優雅に改築しましたが、古くなっていた城のあちこちが崩れ始めていました。


再建された礼拝堂

礼拝堂の祭壇

礼拝堂内部


1742年、プロイセンがシレジア(現在のチェコやポーランドの一部)を支配し、ポトシュテイン城はヨハン・ルートヴィヒ・ハルブヴァル・デ・シャマレ伯爵の手に渡ります。


彼は、紡績や製糸でポトシュテイン地域の発展に大きな業績を残しました。


彼の息子ヤンは、子供の頃から強盗男爵ミクラーシュの盗んだ財宝が城のどこかに隠されているという話を信じており、朽ち果てたポトシュテイン城に行っては宝物探しをしていたそうです。


再建された地下室

かつてはお酒が作られていたようです


ヤンが大人になったある日、地元の教会に勤めていたある人物が、城に宝物があるという夢を見たという話を彼にします。


ヤンはこの話を真に受け、宝物探しを再開します。


しかし35年もの発掘の末に見つけたものは、数個の装身具と空のタンスのみでした。


発掘で遺構の下深くまで掘ったために、城は崩壊してしまいました。


礼拝堂の横にいたヤギ


その後


19世紀末、ポトシュテインはリゾート地として人気になります。


政治家や芸術家、作家がこの地を訪れて夏の間に滞在したり、別荘に住んでいました。


チェコ生まれの作家アロイス・イラーセク(Alois Jirásek)は、1885年の小説『ポクラッド(Poklad)』でポトシュテイン城を題材にしています。


ポトシュテイン城にある教会は、今日でも結婚式に使われています。

教会

教会内部の様子

窓から差し込んだ陽

終わりに


電車が2時間に1本しかないため、ツアーが終わった後に一杯ひっかけて帰りました。


ポトシュテインの地ビールClockは、この地方で有名なようです。

地ビールClock

ビールサーバー

飲みやすいビールでした

城の上を気球が飛んでいました

ポトシュテインの駅

頭の中に「家路」の
メロディーが流れました




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