カール・ライネッケのフルート作品
Carl Reinecke (1824-1910) "Spemanns Goldenes Buch der Musik" Seite 438, Berlin/Stuttgart 1909: リンク |
楽譜
Flute Sonata, Op.167 (ソナタ『ウンディーネ(水の精)』
Flute Concerto, Op.283 (フルート協奏曲)
経歴
カール・ハインリヒ・カルステン・ライネッケ(1824年6月23日-1910年3月10日)は、現在のハンブルク州アルトナで生まれました。1864年までアルトナはデンマークの支配下にあり、デンマーク人となっています。
父のルドルフから音楽の手ほどきを受け、はじめはヴァイオリン、そしてピアノを学びました。
7歳の頃には作曲も始めています。
ピアニストとして12歳から活動を始め、19歳のときにデンマークとスウェーデンでコンサートツアーを行ない優雅なモーツァルトと称されました。
1846年にはコペンハーゲンのクリスティアン8世の宮廷ピアニストとなり、2年間そこで務めました。
1851年、ケルン音楽院の教授となり、その後ポーランドのブレスラウのアカデミーの学術、音楽監督、指揮者になりました。
1860年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者、および音楽院の作曲、ピアノの教授に任命され、30年以上に渡りオーケストラを指揮しました。
音楽院で教えた生徒の中には、エドワード・グリーグ、レオシュ・ヤナーチェク、マックス・ブルッフ、イサーク・アルベニス、クリスティアン・シンディング、フェリックス・ワインガルトナーなどそうそうたるメンバーが名を連ねています。
1904年、80歳の時の彼の演奏がウェルテ・ミニョンのピアノロールに残っており、今日でも彼の演奏を聴くことができます。
ライネッケのフルート作品
ライネッケのフルート作品は、いづれもゲヴァントハウス管弦楽団のフルート奏者のために書かれています。
1881年、ソナタ『ウンディーネ』は、同楽団の首席奏者で音楽院の同僚でもあったヴィルヘルム・ヴァーゲのために作曲され、1882年に初演されています。
フリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケが1811年に発表した小説『ウンディーネ』から着想を得て作曲されています。
フルート協奏曲ニ長調Op.283は、ヴァーゲの後任としてゲヴァントハウス管弦楽団の首席フルート奏者に就任し、同じく音楽院の教授となった、マクシミリアン・シュヴェードラーのために作曲された、ライネッケ最晩年の作品です。
1908年、85歳のときに作曲されたこの協奏曲は、20世紀に書かれた作品とは思えないロマン派のスタイルでブラームスを彷彿とさせます。
バラードOp.288はライネッケの最後の作品となりました。