マシュー・アンドレ・ライヒャートのフルート作品

ライヒェルトの肖像
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楽譜


Carnaval de Venise, Op.2 (ヴェニスの謝肉祭)


La Coquette, Op.4 (ラ・コケット)


7 Exercices journaliers pour la flûte, Op.5 (日課練習)


Plaisanterie Musicale, Op.13 (音楽の冗談) 3fl,pf


経歴


マテュー・アンドレ・ライヒャート(1830年-1880年3月15日)はオランダのマーストリヒトで生まれたフルート奏者、作曲家です。

ベルギーの遊牧民の音楽一家に生まれ、幼少期はカフェで演奏していました。

ブリュッセルの居酒屋で演奏していたところその才能を見いだされ、ブリュッセル王立音楽院でジュール・ドミュールとフランソワ・ジョセフ・フェティスに師事しました。

17歳のときに一等賞を受賞し、ベルギーの宮廷で音楽家として雇われました。

同時期にはヨーロッパやアメリカでのツアーを行なっています。


ブラジル

1859年にブラジルの皇帝ペドロ2世に宮廷音楽家として招待され、リオ・デ・ジャネイロで演奏しました。

ライヒャートはプロビソリオ劇場の第1フルート奏者となり、後にはソリストとしてサンパウロ、リオグランデドスル、ペルナンブコ、バイーア、パラで演奏会を行い成功を収めました。

リオ・デ・ジャネイロで当時有名だったフルート奏者、ジョアキン・アントニオ・ダ・シルバ・カラドJr.と知り合いになりました。

ライヒャートとカラドは、お互いにライバルであるかのように振る舞っていました。


当時はまだ古い木製のフルートが主流だったブラジルで、ライヒャートは最新のベーム式フルートを演奏し、古いシステムのフルート支持者からは強い反対にあっています。

ベーム式フルートのためにライヒャートはいくつかの作品を遺していますが、後年はブラジルのショーロの音楽に傾倒しました。

彼の作曲したポルカ『ラ・コケット』は、ブラジルの音楽の要素が取り入れられた作品です。

この作品はリオ・デ・ジャネイロのすべての音楽バンドが演奏している『As Faceiras』というタイトルでショーロのレパートリーに取り入れられました。

また、彼の遺した『フルートのための7つの日課練習Op.5』は、今日でも、タファネル=ゴーベールの17の日課技術大練習曲やベームの作曲した練習曲と同じく、フルートのための重要な練習曲の一つとなっています。


晩年

晩年はリオ・デ・ジャネイロで蔓延した髄膜脳炎に患い、亡くなりました。

ライヒャートはサンジョアンバティスタ墓地に埋葬されました。



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