ヴァンサン・ダンディのフルート作品
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楽譜
Suite dans le style ancien, Op.24 (古い様式の組曲)
Chanson et danses, Op.50 (歌と踊り)
Concert for Piano, Flute, Cello and Strings, Op.89
Suite en Parties, Op.91, fl,hrp,vn,va,vc
経歴
ポール・マリ・テオドール・ヴァンサン・ダンディ(1851年3月27日-1931年12月2日)は、フランスの作曲家、教師、音楽理論家、指揮者です。貴族の家系に生まれますが、彼が生まれてまもなく母親は他界してしまいます。
幼い頃から祖母にピアノの手ほどきを受け、後に高名な教師アントワーヌ=フランソワ・マルモンテルに師事します。14歳の時にアルベール・ラヴィニャックから和声のレッスンを受けています。
19歳のときに起こった普仏戦争中では州兵として加わりましたが、戦後にはパリ音楽院に入学し、セザール・フランクのオルガンクラスに在籍しました。
この頃から、ドイツ音楽を熱心に研究し、グルック、ベートーヴェン、ウェーバー、バッハ、メンデルスゾーン、そして特にジャコモ・マイベーアに大きな影響を受けています。
1873年には、ドイツのフランツ・リストとヨハネス・ブラームスの元を訪問しています。
1875年、いとこのイザベル・ド・パンペロンヌと結婚しました。
1876年にはバイロイト音楽祭でニベルンゲンの指輪の公演に参加し、ワーグナーの音楽から大きな影響を受けました。
国民音楽協会
1885年頃のヴァンサン・ダンディの行動は注目に値します。
1871年にロマン・ビュシーヌとカミーユ・サンサーンスによって創設された、国立音楽協会(Société nationale de musique)のメンバーとなり、それまでフランスの作曲家のみ取り上げるという協会の方針を覆すことに成功します。
この行為に抗議するため、創立者のロマン・ビュシーヌとカミーユ・サンサーンスは協会を辞任しました。
この協会の方針は、後にはモーリス・ラヴェルといった若い世代を疎外したため、1910年にモーリス・ラヴェル、ガブリエル・フォーレ、シャルル・ケクラン、フロレント・シュミットによって独立音楽協会(société musicale indépendante)が設立されました。
スコラ・カントルム設立
1789年に起こったフランス革命後、1790年には教会の章(Chapitre de chanoines)が廃止されたため、多くの子供達にフランスの音楽教育、特にカトリック教会の典礼音楽を教える場所がなくなりました。
1894年、ヴァンサン・ダンディは、カトリック典礼音楽やポリフォニー音楽の地位回復や若い世代への教育のために、シャルル・ボルド、アレクサンドル・ギルマンと共にスコラ・カントルムを設立しました。
宗教音楽の教育のために設立されたスコラ・カントルムはすぐに、パリ音楽院と並ぶ地位を確立します。スコラ・カントルムで学んだ生徒には、アルベール・ルーセル、ダリウス・ミヨー、エリック・サティ、イサーク・アルベニス、エドガー・ヴァレーズが含まれています。
第一次世界大戦後〜晩年
1905年、妻イザベルが亡くなると作曲活動は停滞します。
戦後には指揮者として積極的に活動をし、ヨーロッパやアメリカ各地で演奏しました。
1920年、70歳を目前にしたヴァンサン・ダンディは、まだ30代後半のカロリーヌ・ヤンソンと再婚します。
再婚後の10年間は意欲的に作曲活動を再開しました。
1931年12月2日、故郷のパリで亡くなり、モンパルナス墓地に埋葬されました。