フルートの巨匠、マルセル・モイーズの研究

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 マルセル・モイーズという人物の名前はご存知でしょうか?

フルートを吹く人にとっては、おなじみの名前です。

モイーズは20世紀のフランスのフルート界を牽引した一人であり、演奏活動のみならず教育者としても今日まで大きな影響を与え続けています。

日本のフルート界を築き上げた功労者の一人、故・吉田雅夫先生の師匠でもあるため、日本でも彼の残したフルートのための教本はよく使われています。

特に『ソノリテについて』は、フルートを学ぶ上で欠かせない教則本の一つとなっています。

フランス・ルデュック社から出版されているこの教則本のタイトルには、フランス語、英語、ドイツ語の他に日本語も表記されており、いち日本人フルート奏者として嬉しい気持ちになるとともに、吉田先生のご尽力を感じます。

今回の記事では、この『ソノリテについて』を中心に、モイーズがどのように教育者としてフルートに携わっていたか考察してみました。


マルセル・モイーズについて


モイーズの経歴を簡単にご紹介します。

マルセル・モイーズは1889年5月17日、フランスのサンタムールに生まれました。

彼が生まれてまもなく母は他界し、父親は自分の子であると認めなかったために助産師の元に養子縁組されます。

15歳のときにラムルー管弦楽団のチェロ奏者であった叔父のもとパリでの生活を始めます。

パリ音楽院ではポール・タファネルに師事、1年ほど学んだ後に1等賞を受賞して卒業しています。

パリ・オペラ・コミックやパリ音楽院管弦楽団などの首席奏者を務め、フルトヴェングラーやトスカニーニ、R・シュトラウスやクレンペラーといった、当代きっての指揮者と共演しています。

パリ音楽院やジュネーブ音楽院で教鞭をとり、彼のレッスンを受けた生徒の中にはウィリアム・ベネットやトレヴァー・ワイが名を連ねています。

多くの作曲家が彼に作品を献呈していますが、中でもジャック・イベールのフルート協奏曲は今日でもフルートの重要なレパートリーの一つとなっています。


モイーズは、蚤の市で買ったクエノン社製の洋銀の頭部管を生涯吹いていました。


モイーズのレッスン


トレバー・ワイの著作『フルートの巨匠 マルセル・モイーズ』のでは、モイーズがどのようなレッスンをしていたのかリストが紹介されています。


レパートリー

クーラウ:グランドソロ第1〜3番
クーラウ:6つの綺想曲
クーラウ:華麗な幻想曲

ドップラー:ハンガリー田園幻想曲
ドップラー:ヴァラキアの歌
ドップラー:愛の歌

ベーム:ドイツの歌
ベーム:スコットランドの歌
ベーム:シューベルト歌曲集

テュルー:グランドソロ第2、5、13番

アンデルセン:風の精の踊り
アンデルセン:風変わりな幻想曲
アンデルセン:ハンガリー幻想曲
アンデルセン:演奏会用小品

シャミナーデ:コンチェルティーノ

ゴダール:組曲

ヴィドール:組曲

これ以外にガンヌ、フォーレ、エネスコ、ユー、ゴーベール、イベール、フェルー、ルーセル、オネゲル、ドビュッシーの作品。そして、ルイ・モイーズ(※モイーズの息子)の7つのカプリスのような現代もの。


エチュード

ベルビギエ:18の練習曲集
スッスマン:30の第練習曲集
ベーム:24の綺想曲集
アンデルセン:24の教訓的練習曲集op.30
アンデルセン:24の第練習曲集op.25
アンデルセン:24の技巧的練習曲集op.63
アンデルセン:24の超絶技巧練習曲集op.60
ロレンツォ:10の練習曲集

モイーズ:ショパンによる12の練習曲集
モイーズ:ケスラーによる10の練習曲集
モイーズ:48の超絶技巧練習曲集
モイーズ:24、25の旋律的小練習曲集2冊

基礎練習

モイーズ:練習曲と技術練習 スタッカート、レガート、難しい運指
モイーズ:アーティキュレーションの学習
モイーズ:ソノリテについてと様式の学習
モイーズ:フェルマータとトリル

ライヒェルト:7つの日課練習


モイーズが勧めていた練習


音出しやロングトーンとして、フルートの練習の初めに『ソノリテについて』が活用されることは多いですが、モイーズは以下の順番で練習するよう勧めていました。


1970年7月2日付け(中略)
レッスンについて必ずこの順で始めること。


  • 24のメロディー、25のメロディー:モイーズ
  • アンデルセン作品15とスッスマンの24の練習曲集
  • タファネルのスケール、5音のスケール
  • アーティキュレーション
  • ソノリテ

(トレバー・ワイ『フルートの巨匠 マルセル・モイーズ』より、第48ページ)


エマニュエル・パユのパリ音楽院時代の教師であったミシェル・デボストも、著書『フルート演奏の秘訣』のなかで、ロングトーンから始めないよう記しています。

私見

あくまでも私の見解ですが、ロングトーンから練習を始める習慣があると、ロングトーンをしなければ音が出なくなってしまいます。ロングトーンは音を伸ばしているときに、唇に不必要な緊張が入ってしまい、低音や高音域で音が出なくなるなどの弊害があったので、私は練習していません。


ソノリテについて


1934年に出版された『ソノリテについて』は、現代のフルート奏者にとって重要な教則本の一つとされていますが、作られたきっかけは旅行に行くためのお金のためでした。

この『ソノリテについて』で注意しなければならない点は、モイーズのいくつかの指示です。

例えば、

(音域が下がるにつれ)”両顎をしだいに緊張させる。下顎がだんだん前に出る。そして両唇の圧力がだんだん強くなる。

という指示は、現代のフルートには不必要かもしれません。

モイーズの時代のフルートは、足部管に近づくにつれ音程が低くなってしまう設計上の欠点があったため、音程を正確に保つためにこのような注意が書き込まれた可能性があります。原文には、音質と強さ、そして音程の正確さを保つためと書かれています。

また、モイーズはできるだけ鮮明な音を得るために、♭シはブリッチャルディキーを用い、また♯ファについては右手人差し指でFisキーを直接押さえる方法を推奨していましたが、これもすこし陳腐な助言かもしれません。実際に演奏で使う運指で練習することに意味があると、私は考えています。


ソノリテを練習する上で最も参考になるのは、後年モイーズが語った以下の言葉でしょう。


ソノリテの練習をする時は、ドビュッシーを思い浮かべながら吹いてみてごらん。ドビュッシーを吹く時は、ソノリテの練習を思い出しながら吹くんだよ。


ビブラートについて


往年の名手、ジャン=ピエール・ランパルによれば、モイーズは相当アグレッシブにフルートを吹いていたようです。今日でも入手することのできるモイーズの録音を聴くと、かなりテンポも前のめりの演奏になっています。SPやLPではフルートの高音域の音色がうまく録音されていないため、彼の音色を正確に捉えることは出来ません。


さて、モイーズの著作『アンブシュア、イントネーション、ビブラートの練習』には、1905年のフランスでビブラートがどのように扱われていたか記されています。

1905年のヴィブラート
ヴィブラートがパリの管楽器奏者の間に現れたのは約70年前で、当時はcache misère(悲惨を隠すもの)と言われました。
 私(モイーズ)は1900年のすこし前に音楽の勉強を始めました。ヴィブラートの出現がもたらした数多くの議論を興味を持って研究しました。
(中略)歌手の一部と特に弦楽器奏者の場合、ヴィブラートの質に拘泥しすぎ、おまけに大抵の場合みさかいもなくヴィブラートを用いて音楽のことに時間を割かなかったからです。
 大抵の管楽器奏者の場合に、ヴィブラートは山羊のなき声のように震え、聴く人に非音楽的なことを想起させてしまうような継続的な喘ぎとして現れました。
(中略)弦楽器奏者の中にすら頑固にヴィブラートを拒否する人がいました。彼等が、新しい流派の名手たちの演奏の後に「皆さん、我々の時代にはあんなにヒステリックではありませんでした」とか「ヨアヒムやサラサーテ達はヴィブラートをかけてはいけないとは言っていませんよ」などと議論しているのを聞かなければなりませんでした。
 ヴィブラート? それはコレラよりも悪いものでした。ヴィブラートの若き盲目的信奉者、例えば若いフルート奏者は犯罪者とみなされました。”(『アンブシュア、イントネーション、ビブラートの練習』第19、20ページより)


ビブラートについて生徒が質問すると、モイーズは次のように答えていたそうです。

音は身体です。身体の中に心臓が動いています。その動きがヴィブラートです。びっくりしたり感動したりした時には心臓がどきどきします。音楽でも感動した時にはヴィブラートがかかります。音の中にはいつもヴィブラートが隠されていなければなりません。


24の小練習曲とアンデルセンの練習曲


そんなに速く吹くのだったら、何もカーネギーホールで演奏する必要はない。サーカスで吹けばいいんだ。

モイーズのもとを訪れる生徒の中には、すでにプロとして活動しているにも関わらず音楽の基本的な原則を理解していないものも多く、モイーズを烈火のごとく怒らせることも珍しくはありませんでした。


標準的なレパートリーであるはずの曲目を、多くの奏者がすべての基本を無視して、例えば、馬鹿げたフレージングとか、滅茶苦茶なアーティキュレーションで、あるいは音楽的な理解不足のまま演奏するのを聞かされ続け、ひどく苛立っていたのである。が、本当に彼を悩ませていたのは、この人たちがもう既に成功を収めた演奏家だった。(トレバー・ワイ/『フルートの巨匠 マルセル・モイーズ』第38ページ)


レッスンでのモイーズは、音楽的でなく超絶技巧の曲を吹く生徒に猛烈に怒った反面、アンデルセンのエチュードを持ってきた生徒には驚くほど忍耐強く教えていたそうです。

アンデルセンがタファネルのクラスを訪問した際に、タファネルがアンデルセンの練習曲Op.15の第3番のメロディーを吹いたエピソードを大変気に入っていたモイーズは、いつか自身もこのような練習曲を書こうと思っていました。


ある時、モイーズの生まれ故郷から妻と旅行にでかけた際、モイーズは車を止めメロディーを書き留めました。

「1928年にサンタムールからドライブして来てここで車を止めたのだ。セリーヌは眠っていたよ。わしは五線紙を取り出していくつかのメロディとその変奏曲を書き始めたんだ」と(モイーズは)話していた。これが『24の旋律的小練習曲集』の始めの部分となったのである。


モイーズは後年、この曲集について「学生の多くが、シンプルなメロディでさえきちんと吹けなかったので、その学生たちのために書いたのだ」と語っています。

『24の旋律的小練習曲』の1番を吹く時は、病を患っている自分の子供の回復を神に祈っている夫人のように吹きなさい。神を脅かすような演奏ではなく!




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