「わが祖国」を演奏するということ

「わが祖国」を演奏するということ

チェコフィルで働いていると、チェコの国民的作曲家であるスメタナの「わが祖国」やら、ドボルジャークの交響曲を年に何度か演奏する機会があります。

そのような時、同僚の弾いている音や姿からは、彼らがそれらの音楽に誇りを持って演奏していることをヒシヒシと感じます。

そして、僕にとっての「わが祖国」は、彼らの「わが祖国」とは少し違うことを感じてしまいます。

以前、とある作曲家同士の対談を読んでいたら、「わが祖国」は日本でもし同じような作品があれば、そのタイトルは交響詩「靖国神社」のような感じだろう言っていました。

スメタナの用いた曲の内容をよく知らないのか、見当違いも甚だしい意見だなと思ったことがありますが、今回は件の作曲家の批判が目的ではありません。

とにかく、チェコ人は誇りを持って「わが祖国」を演奏しているように感じます。

そして、仮に祖国が外国から攻められるようなことがあれば、恐らく一致団結して抵抗するでしょう。


もしそのような時、僕は真っ先に外国に逃げ出すでしょうし、もし日本で戦争が起これば国のために戦いたいとは思わないでしょう。

知らない他人のために自分の命を捧げたいと思いませんし、他人から守ってもらったり、逆に攻撃されたりということも絶対に好みません。

他者とそのように関わることに意味を見出さないからです。

こういった態度は他人の目には卑怯者と映るでしょうし、昔の日本なら非国民と散々罵られていたでしょう。

僕は自身を卑怯者だと思いますし、それは「わが祖国」を演奏するたびに無意識に感じる胸の奥の違和感の正体なのだと思います。

誰とも戦いたくないし、誰からも生活を脅かされたくありません。




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